讃岐沖縄県人会(仮)

讃岐沖縄県人会(仮)とは…

香川県で暮らしている沖縄県出身の方はもちろん、沖縄県に住んだことのある方、沖縄県が好きな方など、

少しでも沖縄県に縁のある方の交流を深めることを目的としています。


また、染織部門において“型絵染”の技法で重要無形文化財に認定された香川県三木町出身の鎌倉芳太郎の功績を広く香川県民の皆さん沖縄県民の皆さんはじめ、多くの方へ向けてアピールする活動として、

『鎌倉芳太郎沖縄文化祭』の開催を目指し、実行委員会としての役割も担います。

文化祭の開催と成功のために、お手伝いいただける方の入会をお願いいたします。

活動内容

『鎌倉芳太郎沖縄文化祭』実行委員会としての役割も担います。(お手伝いは任意です。強制ではありません。)

新年会、お花見、忘年会など年に数回の交流会の開催の他、会員の要望があれば活動内容に活かします。

みんなで作り上げる会でありたいと思っています。


会費

年会費はありません。交流会都度で実費を集めます。


県人会入会の流れ

入会は、Googlegフォームに入力をお願いします。QRコードを読み込むか、リンク先で必要情報を入力してください。

個人情報保護方針
個人情報に関する法令等の遵守

当会は、個人情報が重要な資産であること、及び個人情報保護が当会館にとって重要な業務であることを認識し、個人情報保護に関する法令その他の規範を遵守し、個人情報を適正、かつ、安全に取り扱うものとする。

個人情報の取得・利用

個人情報の取得又は利用は、当会の業務達成に必要な範囲内で適法かつ適正な方法によって行う。

個人情報の適正な管理

当会で取得した個人情報は、常に正確かつ最新の内容を保つよう努める。また、個人情報の漏えい、滅失またはき損の防止、その他の安全管理のために必要かつ適切な措置を講じる。さらに、業務を委託する場合は、業務委託先に対し個人情報の適切な管理を求めるとともに、必要かつ適切な監督を行う。

個人情報の第三者への提供

当会が取得した個人情報は、本人の同意を得た場合、法令に基づく場合、本人の利益のために必要であると判断される場合及び必要な範囲で業務を外部に委託する場合を除いて、第三者に開示又は提供を行わない。

個人情報の開示及び訂正等

本人から自己の個人情報の開示の求めがあった場合は、一定の事由がある場合を除き、当該個人情報を開示する。また、個人情報の訂正等の申し出があった場合、特別な事由がない限り、これに応じる。




問い合わせ事務局

にせんべろ 毛遊び(もうあしび) 担当:ふなきち

Tel: 080-6388-4718

LINE ID @marugamemouashibi


●「鎌倉芳太郎顕彰会」入会のご案内

本顕彰会は、染織部門において“型絵染”の技法で重要無形文化財に認定された香川県三木町出身の鎌倉芳太郎の功績を顕彰し、その名を長く後世に遺し伝えることを目的として活動を行うものです。

沖縄を愛する香川県在住の方々に広くご支援いただきたく、入会のご案内をいたします。

下記のフォームより入会いただけます。

「鎌倉芳太郎顕彰会」入会申込

鎌倉芳太郎顕彰会入会のお願い 鎌倉芳太郎顕彰会 会長 佃 昌道 本顕彰会は、染織部門において“型絵染”の技法で重要無形文化財に認定された香川県三木町出身の鎌倉芳太郎の功績を顕彰し、その名を長く後世に遺し伝えることを目的として活動を行うものです。 鎌倉芳太郎は、明治31年(1898)10月19日、香川県氷上村(現、三木町)で生まれました。のちに芳太郎は、香川師範学校で日本画を学び、卒業とともに東京美術学校図画師範科に進学しました。卒業後は、沖縄県女子師範学校と県立第一高等女学校の教諭として赴任しました。芳太郎は、沖縄に赴任したことがきっかけで沖縄文化に魅せられ、当地に古来より伝わる紅型と呼ばれる染色技法を再興するにあたり、あらゆる沖縄文化を調査し、沖縄の研究者として大きな功績を残しました。 とりわけ沖縄を象徴する首里城については、その存続の危機を2度にわたって救い、大きな関わりを持ちました。首里城の危機に直面した最初の機会は大正13年のことでした。明治維新の廃藩置県で王制が廃止され、その後、首里城は那覇市の管理下となりましたが、建物が老朽化したために取り壊して跡地には那覇神社を建立するという計画が浮かび上がりました。このことを琉球新聞の記事で知った芳太郎は驚嘆し、恩師である東京帝国大学教授伊藤忠太に連絡します。早々に伊藤教授は内務省に取り壊しの中止を働きかけたこととなり、事なきを得ました。 二度目の危機は、第二次世界大戦によるものでした。当時、首里城の地下には日本陸軍が司令基地を置いていたために連合軍の猛攻撃に合い、首里城は跡形もなくその姿を失いましたが、戦後になって奇跡的に再建を果たしました。この首里城の再建には、芳太郎が残した首里城の詳細な調査記録が欠かせないものとなりました。教員として沖縄に赴任していた2年間及びその後の4回に及ぶ現地調査によって、芳太郎は首里城の建築的構造を図面に起こし、柱や壁、扉など装飾的に彫刻された状態を細密に写真に撮影、あるいはスケッチに描き留めていたのでした。これら芳太郎の膨大な資料により首里城の再建が可能となったのでした。 芳太郎は首里城以外にも、沖縄の歴史や文化に関連する資料や写真を残していますが、これらは現在、国の重要文化財に指定されました。一方で、すでに失われていた沖縄特有の染色技法である紅型を復活させたことで芳太郎自身も重要無

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